仙台放送さんがサーファーを取り上げてくれるかも


本日は仙台塩釜港湾事務局様との夏に向かってサーファーのモラルについてのお話し合いがございました。詳しいお話は13日に仙台サーフショップユニオンのミーティングが開かれてから正式に発表いたします。写真は左から東北放送報道部 菅原 知江さん・港政班 原田さん・技術次長 鈴木様・港政班 後藤様・次長 相澤様です。

事務所で1時間ほど今後についてミーティングが開かれ、現場に向かいました。

この日は、埠頭でご遺体の発見があったとのことで宮城県警以外のパトカーが来て砂浜を見回っておられました。

砂浜に下りる前に少しお話をして・・・。写真は先日UPしましたので今回はビーチの写真はありません。

仙台港湾本来の目的のコンテナヤードを石炭の積み場から。

石炭積み場です。

綺麗に片付いたように見えますが一塊にまとめただけです。

決壊した仙台新港正面から駐車場側です。

新港正面です。ここが決壊してコンテナが流されました。

そしてコンテナヤードの現状です。

機械は電気系統がダメで全て止まっています。

写真奥が震災当日火事になっていた場所です。実は当日、タンカーが港の中にあり、津波の情報を受けて旋回して津波の進行方向に船体を合わせて津波を交わしたのだそうです。もし、旋回できなくて船が横転するようなことになっていたら津波と一緒に油が流れ出て津波が上がった新港の近くは間違えなく火の海になっていたとのお話でした。手前の段差は震災での地盤沈下です.

埠頭に向けての写真です。陸にあるコンテナですがコンテナの持ち主とコンテナの中の荷主が違うため誰が何処をどのようにして責任を持って片付けるかがまだ決まっていない状況とのことでした。世界中でも津波でコンテナが流された実例が一軒も無いため、非常に混乱した状況だそうです。

荷物の中の魚が燻製になって凄い悪臭を放っていました。

私達を災害から救った食料やガソリンを運ぶため、いち早く開港した港湾です。この写真だけ見たら震災なんか無かったみたいです。今こそ私達サーファーが心を一つにして皆がこの海に笑顔で戻れるためにルールを再確認しましょう。私達が進んで行く道を絶対に間違ってはいけません。それはこの先の日本の将来、この海に私達の子供や孫が笑顔で戻ってこれる日の為に今、後悔しないように最大の努力と知恵を出し合って前進して行きましょう。

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